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美和さんの親子留学・体験談  

カナダの親子ホームステイを経て  

2008年夏、私は大きな冒険を企てていた。それは、長年にわたって考えてきた構想だったが、まだ子供たちが小さかったし、私ひとりでわざわざ大変な重荷をしょいこむことになる気がして実現できていなかった。ただ、どこか外国で「普通の生活がしてみたい」という私の思いは常にくすぶってはいた。結婚10年を経て、日々の生活の中で何か全く新たな思い出みたいなものがあったらなあ、という願望もあった。

ミサ に「カナダかフィンランドに行きたい?」と聞いたら、「行きたくない!」と即答されてしまった。日本以外は危険で、言葉も通じないから不安だし、興味もないというようなことだった。だが、皮肉にも、子供のこの反応が私に決断させた。(今いこう!) もう少し大きくなったら、私が誘っても一緒に行かないだろう。この夏、子供二人と私の親子ステイを実現させるのだ。子供たちに、世界には私たちと同じような生活があるのだということ、そして、他言語を話す世界で異なる文化を少しでも体感してほしい、そう思った。また、20年程前に留学を経験し、その後長い間子育てやら日々の雑用ですっかりさび付いてしまった私自身の英会話能力を磨きたいと考えていた。


まずは10時間に及ぶ長時間の飛行に耐えられるか?それが、私の最大の気がかりだった。飛行機の中はとても寒く、冷え性で腰痛を抱える私には正直耐えられる温度ではなかった。「ブランケットをもう一つくれませんか?」英語で頼んだが、「できるかどうか、確認してみましょう。」と言ったきり、その客室乗務員は帰ってこない。トイレに行くため座席をたったついでに、集まって井戸端会議をしていた客室乗務員達に「寒いので、ブランケットをもうひとつもらえませんか?」と、ぶつけてみた。「一人一枚ずつになっているので。。。今、機内の温度をあげたので、少し待ってください。」というような返事だった。それは、日本から出国したことを感じさせるプロローグみたいだった。

「ここは空が高いんだな」それが、私の第一声だったと思う。シャロルの家は日本の感覚からいうととても広い。玄関まで階段が少しあり、扉を開けると上と下に行く階段がまたあり、上のフロアはシャロルたちの家で、下のフロアに私たち三人とブラジル人と日本人の高校生の留学生のための部屋と小さいキッチンがあった。出迎えてくれたマイルは階段上がってすぐのリビングに私たちを通すと、家族のことや日本からのフライトのことなど、いろいろきいてきた。その後、慣れた様子で家の中を案内してくれたが、広いリビングダイニングの後方裏山に向かって、ベランダがあった。子供の滑り台やら三輪車やらプールがおいてあり、ちょっとしたプレイランドのようだ。ベランダに出てみると、裏山には木々が生い茂り、左右隣の家もほとんど視界に入らないので、緑と空の青の割合が大きい。大阪のマンションからの景色は高層マンションが視界の半分以上を占めていて、空はその余白みたいな感じなので、まるで、別世界だった。帰国してから初めてわかったが、空気がきれいだった。

私達が会話している間、子供は初対面だというのに帽子を取り合ったり、鬼ごっこに興じたり、すっかり仲良くなったようだ。ティーンエイジャーの片鱗をのぞかせている10歳のジョーダンは、そのきれいなブロンドの髪を赤毛にしたいとせがみ、私たちの滞在中に赤く染めてしまった。5歳のサムは四六時中、走り回っている活発な少年で、しょっちゅう妹のシンニーのおもちゃを取り上げては泣かせたり、同じ年頃の男の子とけんかしてしまったり、とにかくじっとしていられないタイプ。2歳のシンニーは「NO!」と「It's Mine!!(私の)」が口癖で、ちょこちょこ歩きまわる仕草がかわいくて、ミサもアミも「シンニー、No,No」と言っては世話を焼きたがっていた。三人とも常に家に誰かがホームステイしていることに慣れているのだろう。ほとんど英語を話せないミサとアミに話しかけたり、身振り手振りで説明したりして、初日からトランプで遊んでいた。ホームステイの家族はいい人たちだろうか? 安全だろうか?ミサとアミはホームステイ先の子供とうまくいくだろうか? 出発前に不安に思っていた事柄がクリアできて、ほっとして眠りについた。

次の日からはデイキャンプがあった。「おかあさんが悪いねん。なんでミサがそんなところにいかなあかんの?! 別に行きたくないし。いやや。」想像していたことだが、ミサは 拒否反応をしめしていた。「家にいる!」「おかあさんのせいやないの!!」と、さんざん言われ、私も多少罪悪感を感じたほどだったが、ここで引き下がってはと、「とにかく、今日は行ってみよう!楽しいか、楽しくないか一回行ってみないとわかれへんやろ〜。」とひきずるように集合場所のコミュニテイセンターに連れて行った。一日目なので、シャロルも一緒についてきてくれたので、心強い。アミとはグループが違うので、まずアミを所定の部屋に連れて行った。アミは、やはり緊張して立ちすくむ様子で「こっちに座って、これを塗ろうよ。」と誘われても私から離れないので、一緒に行って座らせた。塗り絵のようなプリントがあって、各自楽しんでいた。少し見ていたが、シャロルが、「アミがおちつくまで、私がここにもうしばらくいるから、あなたはミサを連れて行って。」とフォローしてくれた。まだぶちぶち不満をくちにしていたミサを連れてべつの大きな部屋で受付を済ますと、子供たちが座っている舞台のようなところにミサも座っている。そばにいようとすると、「早く帰って。もう行って。」というので、「じゃ、また迎えに来るから。」といって、その場を立ち去った。

私もシャロルも知らなかったが、その日はプールで遊ぶプログラムで、水着やバスタオルが必要とのことだった。シャロルが、「またあとで持ってきましょう。そのときに子供たちの様子も見られるから。」と言ったので、私はなるほどと頷いた。そのあと1時間以上経って私が水着をもっていくと、ちょうどアミはみんなで列になってどこかへ出かけるところで、ちらっと私をみて手を振ると、足早に行ってしまった。私はリーダーにアミの荷物をあずけて、ミサのところへ急いだ。ミサはみんなと円になって座って、ゲームのようなものをしていた。「ミサ、水着。」と差し出すと、「あっちの荷物のところにおいといて。」と言う。私は言われたように置くとその場を立ち去った。ドアのガラス越しに見ていると、ミサは楽しい表情とはいいがたいが、一応参加しているみたいだ。十分だった。シャロルは、「(二人とも)あなたの姿をみて、帰りたいといって来なかったから、大丈夫よ。」と言った。

その日帰ってから、ミサに聞いてみると、「楽しいこともあるけど、微妙。」という感想だった。(思ったより悪くないな)、くらいに思ったのだとおもう。実際、次の日からは行きたくないとは言わなくなった。また、日本語のできる高校生のようなリーダーがいて、日本語で話しかけてくれたそうだ。2,3日たつと、アミのほうが、周りで話されていることがわからないから、行きたくないと言い出して困ったものの、シャロルとその子供たちとの予定もあり、全プログラムに行く必要もなかったので、それ以外は参加するという約束を守ってね、とアミにいい聞かせた。消防署に行くプログラムや山登りなど、参加したら、結構楽しいようで、家に帰ってから話をよくしていた。
 
「カナダの一般的な家庭に滞在したい。」私はフロムウエストさんにそう伝えていた。ホームステイ先のシャロルとマイル夫婦はともにカナダで生まれ育った。シャロルは地元の学校を出て、職場でマイルと知り合って結婚したという生粋のノースバンクーバー人。ちょっとおませなジョーダンととにかく元気なサムとまだ幼いシンニーの世話に、しばしばため息をもらしながら、しかし愛情のあふれる子育てを実践していて、その決して感情にまかせてどなったり、手をあげることのない姿勢はとても尊敬に値する。私の娘たちもしょっちゅうだが、子供同士の言い争いやけんかが四六時中、繰り広げられるのだが、その幾度、子供(特にサム)を呼び寄せては「やめなさい。○○だから、危ないだろう。」とか、「これ以上だと、退場させるよ!」とか言っては、一生懸命説得したり、なだめたり。とにかく忍耐強く、何度も何度もそれを繰り返すのだった。

日本の子育てと大きくちがうと思ったのは、やはり物理的に空間が広いので、子供同士がけんかしていようと、あまり人の目を気にする必要がないという点だ。例えば、下の私たちのベットルームで、娘どうしがけんかしていても、上のリビングにいる私には決してその声は届かない。大阪のマンションでは、「うるさい!静かにしなさい!迷惑でしょ!」と常に大声を荒げていたが、空間が広いし、多少走りまわろうが、いい争いをしようが、放っておいても、それなりに収拾していることもあり、親として、こんなに楽なことはなかった。シャロルは、ミサとアミは「とても礼儀正しいわ。いい子たちね。」とよくほめてくれ、日本ではそんなことは生まれて一度もいわれたことがなかったので、正直うれしかった。シャロルとそんなことを話しあったこともあったが、「子供なんだから、じっとできないのが、当たり前じゃないの。」みたいなことをいわれ、すごくすがすがしく聞こえたのを覚えている。田舎暮らしならまだしも、大阪にすんでいれば、このカナダのいわゆる広い世界での考えが、そのまま通用するとは思えないのだが、そのおおらかなコメントはとても心地よく感じられた。

マイルは、地元のケーブル会社の技術者であり、毎日4時半から5時半くらいに帰ってくる。途中で海に遊びにきた私たちに加わって、また仕事に戻ったこともあるし、完全に時間管理は個人まかせらしい。マイルに限らず、カナダ人のパパは夕方に帰宅して、家族と夕食をとるのが、一般的らしい。「おなかがすいたよ。」とか言いながら、帰ってきてリビングのソファに座ってテレビを見たり、晩御飯を作ったり、そうでなければ夕食の後かたずけをしたり。「カナダのパパは(平日も)晩御飯、一緒に食べるんやね〜。」と、当初は子供も驚いていた。博学なマイルは日本の「過労死」のことも知っていたが、「考えられない。」と、あっさり断言した。会社にもよるらしいが、マイルの家庭では月100ドル少し払えば、医療費はほとんど無料だし、累進課税の税金も安くはないが、公立に行けば子供の教育費は無料だし、水もおいしいし住むには最高だと言っていた。物価は大阪の下町のほうが若干安いかもしれないが、カナダは消費税が高いことを考えれば、元々の価格はとんとんくらいかもしれない。移民人口も増えているらしく、土地の値段が、ここ数年でかなり高騰しているようだ。

金曜日の昼前、シャロルと子供たち、ブラジル人のプリシラ、私たち3人で、大型ショッピングモールに行ったことがあった。子供たちを連れて歩くとどこへ行くかわからないので、モールのこれまた大きなプレイランドであそばせて、私たち一人ずつで順番に用事を済ませることにした。そこで驚いたのは、やはりパパが多いという事実だった。全体の3分の1以上はパパが子供を連れて時間をつぶしてるという感じで、平日でもパパの存在感は大きい。私には、驚きだった。

こんなに働かなくて、どうして物質的にも福祉的にも「豊か」な生活が送れるのだろうか、という疑問がわきあがってきた。恵子さんいわく、「やっぱり、カナダは資源がありますから。石油もでるしね。」とのこと。確かに豊かな資源やあまりある生産物を売って、社会保障や福祉を充実させることができる。そして、その「豊か」な生活がますます世界中の人々を魅了し、引き寄せるという、いい意味での循環が出来上がっているのだろう。カナダという国にますます興味がわいてきた。

私たちのカナダステイが非常に楽しく、有意義なものとなったのは、ひとえにホームステイ先のシャロルたちのおかげだ。シャロルは性格がとても「hospitable(もてなしの心にあふれている)」で、家に来る人がみんな楽しいと思って欲しいし、喜んで欲しいと言う。どこに行くにも「送っていこうか。」と言っては、気にかけてくれ、子供三人の世話で大変なのに、手をかしてくれる。日本人の中には、もちろんお金を払っているのだから、気を使ってくれて、あたりまえみたいに考える人もいるかもしれないが、わたしの経験からいって、欧米では必ずしもこの場合、「気をつかう」という形を伴わないと思う。お金をもらって「宿」と「食事」を提供している「ホームステイ」という基本の形にプラスアルファがあるかないかは、ひとえにそのホームステイ先の人々の人柄とか性格によると思う。もちろん、気が合うとか合わないとかいう問題もあるだろうけど。

親子ステイの行き先としてカナダを選んだのは、治安がいいということがまずあるが、もうひとつはやはりKさんとのメールのやりとりで(この人は信頼ができそうだ。)と、直感したから。バンクーバー滞在中、一度時間をとっていろいろ話をしたが、やはり私の選択は間違っていなかったと思った。経験にもとづいたカナダでの生活や在留日本人の話など、楽しく聞かせてもらえた。やはり親子ステイの場合は、同じ年頃の子供のいる家庭で滞在するほうが、お互いいろいろな共通点があるので、理解し合えるのではないだろうか。フロムウエストさんは、私たちがカナダでの「普通の生活」を実現するための手配をしっかりしてくれたと思う。

ふり返ってみれば、この親子ステイで、一番リフレッシュして、生き返ったように元気を取り戻せたのは、私自身である気がする。カナダまできて、腰が痛くて立ち上がれないというような状態は避けたかったので、いつもより柔軟体操やら腰痛予防体操を念入りに行ってはいたが、この夏以降、不思議なことに体の調子はよくなっている。まったく誰一人知らない場所で、いろいろな話しを聞いたり、新しく出会ったり、自然に溢れる広い空間でゆっくり過ごせたことは大きな糧となったのだと思う。(また新しく何かを始めたい。)そんな気持ちや力を育ませてくれた時間だった。

子供たちはといえば、2歳のシンニーから「mine」「no」「Are you OK?」など、少しの英語もゲットして、言葉うんぬんよりも、人とのコミュニケーションを存分に楽しんでいた。わざわざ持参した学校の宿題はほとんどしていなかったし、単純にいえば、毎日かなり遊びまくっていたから、「本当に楽しかった。」と、心から感じたと思う。私がまったく英語の上達を期待してなかったので、その割には、「Don't throw ball」とか、いろいろ口走っていたことが、むしろ驚きだった。子供同士には言葉は必要ないし、関わり合う中で自然に湧き出てくるものなんだなあと実感した。

シャロルたちとは、「Keep in touch!」(また連絡をとりあおうね)といって別れたし、いつかまた会いたい。子供たちもそう思っているようだ。「英語が話せたら、もっと仲良くなれて、楽しいよ〜。」「メールも書けるよ〜。」とか適当なことを話しては、英語に触れてほしい、やっぱり英語はマスターしてほしいと願っている。両親とも日本人だし、普段はまったく英語を使う必要もないので、モーチベーションを維持することは正直難しい。親としては、「自発的に」興味を持ち続けることを見守るしかないと思っている。

最後に、私の計画に賛同し、留守宅をきれいに整え、快く送り出してくれた夫に感謝したいと思います。「ありがとう!」

美和(実吾)                                  2008年11月11日

(無断転写、引用はお断りします)             

2008年7月末から2週間、美和さん(ママ)と、10才&7才のガールズがデイキャンプと、英語スピーカー宅でのホームステイを体験、その後、1週間、パパさんが合流し、アパートに滞在されました。

美和さんは留学経験もあり、英語の本も書いていらっしゃいます。うちのプランに満足いただけるかなと思っていましたが、楽しく過ごしていただけたようで本当によかった。ありがとうございました。


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